

平成十年十月十日に高架駅として新しく生まれ変わった海南駅は、海南市にふさわしい駅となりました。
海南駅周辺は、昔は海辺であり、日方から名高にかけて細長い砂浜(砂州)がのびていました。(室町時代末期ごろまで)
この砂州では、春日神社の馬場が設けられ県下各地から寄り集まった馬が速力を競い合うので、見物客も大勢かけつけました。
今は、馬場町という地名に名残りを留めています。春日神社の秋祭り「おみこし行列」も海南駅周辺で行われていました。また、「井松原合戦」の古戦場としても知られています。
昔は、海岸沿いに松林が並んでいて、「井松原」と呼ばれていました。
鎌倉末期の元享二年(一三二二)三月、「大塔宮護良親王」が熊野参詣の途中、春日神社に宿座したとき、「大野十番頭(春日十番頭)」が、その警護にあたりました。
「大野十番頭」というのは、春日神社の神主を努めた十人衆で大野郷(現在の海南市西部と和歌山市南部の一部)を治めた地方豪族で、大塔宮さまからそれぞれ受領名を賜ったと伝えられています。
護良親王が、春日神社で歳越をされたので親王を祀ったお社を「歳越神社」と呼ばれていました。今は、その社も無く春日神社に合祀されています。参道の階段の途中に開けたところがありますが、ここが「歳越神社跡」です。
春日山城は、中世の城で紀伊国守護の城「大野城」の支城でした。
「守護所」というのは、紀伊国の現在の県庁にあたるもので、和歌山県の県庁所在地が昔、ここ海南市にありました。(和歌山市に移る前のお話です。)知事にあたる守護大名が海南で紀伊国を統治していました。
その守護大名の城が「大野城」です。(近世でいうと、和歌山城にあたります)この「春日山城跡」からは、守護所跡や大野城跡など大野の里が遠望できます。
大野城主として、もっとも知られているのは、山名義理です。
春日神社は、紀伊国神名帳に「正一位春日大神」と位置づけられている格式の高い神社です。
海南市では「正一位」を与えられたのは、現存社では、春日神社だけで聖武天皇から代々の祈願所として朝廷の厚い保護を受けていました。
祭神は、「天押帯日子命(『古事記』)」で古代大和豪族ワニ氏の祖にあたります。
また、元春日という神林よりご神意により、吉方位を撰び現在の地に移転鎮座したため「方位除け」の神様としてまた、「厄除け」の神様として崇拝されています。
現在の海南駅付近一帯での合戦でした。
天正五年(一五七七)八月十六日、日方勢(織田信長方)と名高勢(雑賀孫市方)の大合戦が繰り広げられました。春日十番頭もやもえず二つに分かれて戦いました。
一日の戦いで二百人の戦死者を出すというすさまじい戦いでした。織田信長の紀州雑賀攻めの戦いです。
熊野三山を遥拝したり、休息するところに設けられた九十九王子社中、海南市には五つの王子跡があります。
そのひとつが「松代王子」で春日山にあります。
この「松代王子」付近では、海南特産の古代墨(松煙墨)や硯などが昔、生産されていました。
今、一月二日には、この「松煙墨」を使用した「紀州古代墨席上書初会」が毎年、春日神社で行われています。
ここより、熊野古道を北に行くと「松阪王子」、南に行くと「菩提房王子」があります。
昔より鎮守のもりとして護り続けられてきた、この森には北方系の珍しいクモや本州では、ここにしか生育が確認されていない南方系のネジロツブゾウ虫など貴重な虫類や植物があり、シイの木の群生クスノキ、ホルトノキ、ツガなどの大きな木が生い茂っています。
平成九年には、海南市の指定文化財(天然記念物)になりました。
この春日万葉の森周辺からは、縄文時代のひとびとの集落も見つかっています。古代の人々も春日の森のような森林の中で生活していたのでしょう。